2012年03月21日

友達

僕は友達に恵まれている


そう話す人が少なくない


たしかに友達如何では 人生さえ左右されるし
とても重要だと思う


何かを相談する

でも相談する相手を間違えると
とんでもないことになるし
また拍子抜けするほど何も反応がなく
??となることもある


僕が思うに
恵まれている  と  言える人は
自分の出して欲しい答えを出してくれる人が
周りに多いのではないかと・・・・


つまり同意してもらうと
人間とても安心出来て
その人に好感を持てる
そうなると 「恵まれている」となるのではないかと・・・




人は 何かを求める時
損か得かしか考えない
これは人間みなそうだと思うが 
ここでもまた 自分に得な人が周りに多いと
「恵まれている」と なるのではないだろうか


だいたい人は相談する時には
すでに自分で答え持っていることがおおいから。



僕は特にひねくれているわけではないと思ってる(自己評価)
少しだけ 色んな事を人より経験しているだけだが
かなり冷めているとは感じる。


だからどんなに感謝されたり、あてにされても
常にそれが頭にあるから
どこかで  よからぬ事をふっと感じる

あえて口にはしないけれど
それはそれで 寂しい事だ


要するに 友達は数じゃないし
同意する数でもない


          うまくいいように使われている


それを自分でわかっていたら
そんなに間違いはないと思う

自分から利害関係を作りさえしなければ
案外人間関係は成立する



な~んて 偉そうなことを言ってみたが
自分も結局変わらない













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Posted by 四季 at 18:58│Comments(0)
 
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